笑顔の写真家:酒井徹也

笑顔の写真家:酒井徹也

渋谷ハロウィンナイト2016最終日vol.2/3

2016年のハロウィン最終日、18:00頃渋谷駅に到着するも駅前から既に身動きできずスクランブル交差点をなんとか渡りわしたもののセンター街の人の多さに圧倒されしまい、とりあえず待機できる場所を探してみました。
車両通行規制の区域でようやくハロウィン仮装を見物できる余裕ができたので、スナップ撮影をしてみました。
声をかければ大抵、快く素敵な笑顔を撮影させてもらえるのはハロウィンの日ならでわです。
皆さま、ありがとうございました。

渋谷ハロウィンナイト2016最終日

渋谷ハロウィンナイト2016最終日


 
渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日vol.1/3

2016年のハロウィン最終日、18:00頃渋谷駅に到着するも駅前から既に身動きできずスクランブル交差点をなんとか渡りわしたもののセンター街の人の多さに圧倒されしまい、とりあえず待機できる場所を探してみました。
車両通行規制の区域でようやくハロウィン仮装を見物できる余裕ができたので、スナップ撮影をしてみました。
声をかければ大抵、快く素敵な笑顔を撮影させてもらえるのはハロウィンの日ならでわです。
皆さま、ありがとうございました。

渋谷ハロウィンナイト2016最終日

渋谷ハロウィンナイト2016最終日


 
渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト2016最終日

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渋谷ハロウィンナイト最終日2016

渋谷ハロウィンナイト最終日2016


 
渋谷ハロウィンナイト2016最終日

渋谷ハロウィンナイト2016最終日


 

私的妄想世界

「大きな目標を達成するために小さなステップの目標をたてて、階段を登るように目標達成せよ」と言うが、描いたように成功するほど人生あまくない。
その時代、その時々にマッチした様に自分を変えられる柔軟性が必要になってくる。

近年益々、多くの人々は自分たちが食べることに必死になっており、その様な労働をしなければ暮らしていけない。
一方、様々な技術革新により人員が必要な労働は減っており、高い技術や能力を使いこなせる一部の人だけが高い給料をもらい、貧富の差が益々脹らんでいる。
年金、保険といった社会保障にも大きな無理が生じているのに、市場の状況で対価が決まっていく賃金に所得の分配を任せていては、社会そのものが回らなくなるのは当然でしょう。

通貨、電子マネー、株式といった人類の約束事が機能しなくなってきている危うさを感じている人は少なくないだろう。
今まで絶対としている固定観念を頭から消し想像してみると、通貨、電子マネー、株式といったものは人類の約束事であって、実際は存在しないものである。
これらの世界中雁字搦めに支配されているようなものを無くしてしまえば、本来持つ人間らしくなるのではないだろうか。
これは、これらの利権者が今までの権力を失い、人類平等にグッと近づくことでもある。
世の中に素晴らしい発想があったとしても、利権の強い人々に都合のよろしくないことは闇に葬られる現在の世であろう。

今後、更に人工知能ロボット化が進み、人類がその気にさえなれば世界中の皆が働かなくとも食べていける世の中が実現できる。
しかし、人工知能は戦争兵器への組み込みが盛んに進められ、実践に使われ人の命を奪っている。
人は、自分以外の人と比べて自分の優劣を確認する習性があり、他人より優位に立っていないと不安な人が大多数のようだ。
どれだけ経済成長すれば、どれだけ他国を打ち負かし強い権力の国になれば満足するのだろう。

「夢を見るから、人生は輝く」というが、絶望の連続で夢を見れないで人生を終えた人は輝けなかったのか?
そうではない、たった一つの自分の人生から逃げずに駆け抜けて行った人生は輝いているでしょう。
「叶う夢など夢ではない」のだと言う人もいる。
私と出会い関わって頂いた皆様、また、これから出会う方々に感謝し残された人生を世界平和の笑顔の花咲く夢へ少しでも近づけて行きたい。

平成28年山王祭「祝400年天下祭」の素敵な人々

「天下祭」と呼ばれる盛大な祭り「山王祭」と「神田祭」の二つは、天和元年(1681年)、大規模な祭りを毎年行うのは大変ということで、山王祭と神田祭の本祭りが1年おきに交互に斎行されることになり、その慣習は現在も続いています。
元和元年(1615年)山王祭の神幸祭初めて江戸城内に入り「天下祭」と呼ばれ出してから平成28年で丁度400年となり、この度「祝400年天下祭」平成28年山王祭が行われました。
6月10日:直垂(ひたたれ)、狩姿、古式衣装を身にまとい600人超が氏子地区を一日かけ山車など他も練り歩く日枝神社神幸祭。歴史絵巻が都会に現れる。
6月11日:山車と糀町惣町睦統一連合渡御・宮入があり、茅場町から日本橋までを神輿が練り歩いた。そして山王下交差点から日枝神社の表参道に入り「男坂」と呼ばれる急な石段を全ての御神輿を男女の担ぎ手が力を振り絞り担ぎあげて日枝神社に参拝する「宮入」のクライマックスがみられました。
この宮入は、子供神輿も同様に宮入し急な石段を上がって行きます。
法政大学、上智大学の皆さんも参加されており、ベテランの皆さんに混じり若者も活躍されていました。
汗を流し疲れて大変なはずの担ぎ手の皆さんですが、達成感満ち足りるのでしょうかとても楽しそうな笑顔がこぼれていました。
6月12日:各町の神輿がそれぞれ町内渡御を行い、フェリス女学院大学のボランティアの方も参加されていました。
11日、12日共に神酒所などで各町会の婦人会の皆さんが協力され山王祭を陰で支えており、皆さんの温かい屑名が伝わってくる素敵なひと時でした。

◆山王祭とは

徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」 として盛大をきわめ、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられているお祭りで、例年6月に開催されます。

◆日本三大祭

祇園祭( 京都府、八坂神社)、天神祭(大阪府、大阪天満宮)、山王祭(東京都、日枝神社)

◆江戸三大祭

山王祭(日枝神社)、神田祭(神田明神)、深川八幡祭(豊岡八幡宮)

◆糀町惣町睦会(こうじまちそうちょうむつみかい)

糀町・惣町睦会は、日枝神社氏子区域 永田町・隼町・紀尾井町・平河町・麹町・番町・九段の20ヶ町からなる祭礼組織。
山王祭の復活と隆昌が地域社会の活力と発展につながることを確信し、昭和23年(1948年)、人々の心の紐帯と地域社会の再興を願い、当時、大島義愛会長の呼びかけによって糀町惣町睦会は復活しました。

◆麹西連

正式名称:麹町西部町会連合
麹町四丁目、麹町五丁目、麹町六丁目、紀尾井町の4町会が集まる連合。

◆七ヶ町連合

正式名称:上野東部七ヶ町連合
一番町、麹町一丁目、麹町二丁目、麹町三丁目、隼町、平河町一丁目、平河町二丁目の7町会が集まり、平成22年から永田町二丁目が準会員として参加している連合。

◆糀町惣町睦会 各町会長

永田町町会 町会長:遠藤 恒夫
平川一丁目町会 町会長:関口 彌壽雄
平川二丁目町会 町会長:山口 光弘
隼町町会 町会長:奥田 英雄
麹町一丁目町会 町会長:安達 保俊
麹町二丁目町会 町会長:真柴 弘
麹町三丁目町会 町会長:根岸 進
麹町四丁目町会 町会長:笠井 清純
麹町五丁目町会 町会長:湯田 嘉彦
麹町六丁目町会 町会長:布村 定雄
紀尾井町町会 町会長:戸田 豊重
一番町町会 町会長:濱田 勝己
二番町町会 町会長代行:諸 亨
三番町町会 町会長:田中 康博
四番町町会 町会長:杉田 宗一
五番町町会 町会長:横山 義文
六番町町会 町会長:新井巌
九段三丁目町会 町会長:細内 進
九段四丁目町会 町会長:久保寺 健郎

◆小形山車

1.御幣を担ぐ猿の山車(山王神社蔵)

1948年(昭和23年)に再興し、2009年(平成21年)に60年目を迎えた糀町・惣町睦会が、最近発見された「御幣をかつぐ猿」の山車人形を氏子が譲り受け、日枝神社へ奉納した。
人形は、かって、四谷須賀神社祭禮の四谷伝馬町に伝わるもので、 江戸末期の作とされる。四谷須賀神社は、神田明神摂社である大伝馬町八雲神社の分霊を祀った神社で江戸時代は日本橋大伝馬町と関係があった。
「猿」は、日枝神社の神様のお使い。また、「猿」の山車は、江戸時代の山王祭・神田祭では、二番山車でどちらも南伝馬町(現京橋)が出していた。

2.美少年の山車(山王神社蔵)

山車は、構内牽引車に引かれて巡行する。

3.干支の山車(山王神社蔵)

江戸時代の附祭の曳物。その年の干支の動物を飾る。表絵:寅、裏絵:卯。

4.花山車(山王神社蔵)

大きな造花の花山車。神幸祭で女性が曳く。

5.諌鼓鳥の山車(日枝神社蔵)

山王祭の諫鼓鳥の羽根の色は、青黄赤白黒の五彩。神田祭の場合は白。
山王祭の神幸祭で巡行する。

6.牛若丸の山車(九段三丁目蔵)

1930年(昭和5年)頃制作。戦災で一部焼失、戦後、台車・人形とも復元。
太鼓の上に笛を吹く牛若丸の人形、前に雌雄の獅子頭を飾る。
全高:6m、全幅:2m。

7.牛若丸・弁慶の山車(九段四丁目蔵)

大正時代に作られた初代の山車は、戦災で焼失、1952年(昭和27年)に浅草・宮本重義制作、1994年(平成6年)修理。
人形は、五条大橋の弁慶と牛若丸で1957年(昭和32年)に人形作家・平田洋光らにより創作。
太鼓の上に人形を飾る。
九段四丁目は、日枝神社の北端の氏子であるが、祭りが盛んな町風。江戸時代は、下級武士の町であったため祭りに対する意識は薄かったが、明治期に入り商家が増え盛んになった。大正時代の山車があったが、空襲で焼失したため、新宿伊勢丹から「布袋」の人形を譲り受けたりしたが、現在の山車は昭和27年に初代の面影を踏襲して完成した。当初は、牛に曳かせて巡行していた。
全幅:1.8m、全長:2.3m、太鼓径:82cm。

8.東郷元帥の山車(三番町蔵)

東郷平八郎元帥の屋敷が三番町内にあっため、1950年(昭和25年)制作。
人形は、軍刀を持った東郷平八郎。東郷平八郎は、薩摩藩士出身の海軍大将・元帥。日露戦争では、連合艦隊司令長官に就任し、日本海海戦ロシヤのバルチック艦隊を破り国民的英雄となった。後、伯爵。(1847~1934年)全高:4.5m、全幅:1.8m。

麹町わが町情報館
九段商店街振興組合

遠足や移動教室の昼食グループ集合写真

遠足や移動教室でレジャーシートの上に座りお弁当を食べているシーンでは、行動班毎に集まって食べる学校と気の合った仲間同士が集まって食べる学校があります。
班や仲間同士といいましてもテーブル席に座っているのではなく、生徒さん方が敷いたレジャーシートの上でてんでの方向を向いて食べていますので、写真の納まりが良いように位置を移動してもらって撮らないと広範囲を撮ったような引きの写真になってしまいます。
販売用の写真として1グループを沢山のバリエーションで撮ってほしいというご依頼が時々ありますが、写真撮影の為に視線を頂戴することを何度も繰り返しますと生徒さん方の食事の邪魔になります。また、屋外の慣れない場所での食事で食が進まない生徒さんや、食事時の撮影を嫌う生徒さんがいる場合が多いです。
腹ペコの生徒さん達ですので早く撮影しないと生徒さん達はお弁当を食べ終わってしまいますので1ヶ所にあまり時間をかけた撮影はできません。

あたりまえのことですが、写真撮影の為に学校行事があるのではありませんので、なるべく場の雰囲気を壊さないように配慮することを最優先しています。
生徒さん方が写真撮られるのが大好きでノリノリの場合は、いくつものバリエーションで撮影できますが、上記の様な場合のグループ集合写真を生徒さんもれなく全員撮る場合は、何れかの1枚に写っていれば良しとする程度にと思います。
クラス数にもよりますがこういった昼食の撮影は、昼食抜きの事が多いです。
そういったカメラマンの方が多いと思います。
私の場合、生徒さんの笑顔写真を撮っていると、いつもお昼は忘れてしまいます。

とある小学校の移動教室での話vol.5(特異性の理解)

とある小学校の移動教室での話 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4
※上記リンク「とある小学校の移動教室での話vol.1、vol.2、vol.3、vol.4」の続きの話です。

生徒さん達は各班の部屋に戻り、寝る前にの一日を振り返り日記を書きます。
通常、初日のその時間帯に各部屋毎の班の集合写真を撮ります。
各部屋毎の班の集合写真で女子生徒さん達は、あれこれチアーの決めのようなこだわりポーズをろとるケースも多いようです。男子生徒さん達は、シャイなのかめんどくさがりなのか中々まとまりがつかないケースが多いので、「女子達みんなカッコいいポーズしてたよ」など言うと、対抗意識からかやる気をだしてくれてよい写真が撮れます。
こだわりポーズが無い場合は、もうすぐ就寝ということもありますので布団に入ってもらって撮ることもあります。
今回は、ケンカして泣いてしまっている生徒さんがおり、次の日に撮影することとなった班もありました。毎回、生徒さんの気質が違いますので、それに合わせて柔軟に対応するように心がけています。

これまでVol.1からVol.4まで少し細かなことまで書きすぎましたので2日目の屋外活動等は割愛させて頂きます。

2日目、生徒さん風呂上り後に各班の部屋に戻り自由時間での話。
Vol.1,2で取り上げましたカメラを攻撃してきみたり、長枝でたたいてみたり、どついてみたりする生徒さんですが、各班の部屋に戻らず風呂の階にある本棚より、動物図鑑を出してきて廊下のソファーに寝転がり、その本を熱心に見ていました。
話を聞いてみると、どうやら動物が好きでいくつか鳥など関する詳しい説明をしてくれました。とても感心しましたので「とっても詳しいんだね」などと言うと満足そうな笑みを浮かべていました。
やはりここでも、特異性をもっており他の生徒さんとはなじめず一人行動で寂しそうにも見えます。しばらくすると、先生に「自分の班の部屋へ戻れ」と何度か言われていましたが戻らずに長くそのソファーにいました。
自分自身も小学生時代に特異な事と不得意なことの差が大きく他の生徒となじめなかった時期があったことを思い出し、この生徒さんと心の内が共有できるものがあるように感じました。
私が笑顔に執着するのは、この頃に受け入れてもらえなかった自分が笑顔のキャッチボールに憧れた思いからきているように思います。そこから脱せられたカメラというコミュニケーションツールの発見と自ら行動できたことはラッキーでした。
そして中学校入学を機に激変し、先生からも先輩、後輩、同期生徒からも自分の存在を認めてもらっているという実感できる事が多々あり救われました。
この生徒さんも得意とするところが皆に理解され、もっと受け入れられていってくれることを願っています。

とある小学校の移動教室での話vol.4(スリルの後の笑顔写真)

とある小学校の移動教室での話 vol.1 vol.2 vol.3
※上記リンク「とある小学校の移動教室での話vol.1、vol.2、vol.3」の続きの話です。

vol.3の一幕、飯ごう炊さんを終え諸々の作業の後、入浴タイムです。
湯上りの生徒さん達をお風呂の出入り口前でスナップ撮影。
やんちゃな生徒さん達も湯上りはほんのり頬を赤らめリラックスしている様子で撮影させて頂きました。
湯上り後、お風呂の出入り口前に用意された牛乳を飲むことになっており、「濃い・薄い・甘い?」「いつも飲んでいる学校の牛乳の方が好き?」など色々と生徒さん方の牛乳談義もありました。いつの時代も牛乳嫌いの生徒さんは大変な思いです。

入浴後は各班の部屋に戻り整理整頓、いよいよ屋外に出てナイトハイクです。
宿舎前にて施設スタッフの方より「耳を澄まし静かに歩けば風や生物の鳴き声や思いがけないものが見えるかもしれません」などナイトハイクの説明が、先生からはナイトハイクで以前にあった出来事や注意事項の話が生徒さんにありスタート。

真っ暗の中、ナイトハイク順路の茂みに隠れて生徒さんを待ち、写真を撮ります。
こんな時は、「カメラマン脅かしてんじゃねえ」「消えろよ」などと色々とやんちゃな生徒さん達がよく騒ぎ、女子は、大きな悲鳴で気を紛らわせる子や本気泣きしてしまう子もおりました。

以前のナイトハイク(肝試し編)では、男女ペーアーで最初男子が手を引きリードしていますがビックリポイントでとっさに女子の後ろに男子が回って顔を伏せてしまった写真が撮れたりしました。肝試しの場合は、先生方とカメラマンの連携でドッキリ効果と楽しさをアップできるようです。

一通りナイトハイク順路を回りきった生徒さんの最終を確認し生徒さんの集まる場所へ移動。やっと終わったという安堵からか、回りきった満足感からか、緩んだ良い表情を見せてくれますのですかさず笑顔写真を撮ります。

この後、生徒さん達は各班の部屋に戻り日記を書きます。

笑顔や笑顔の写真を見て笑顔になれる?

笑顔を見て笑顔になれる人はいいのですが、大抵の人は心に何らかのしこりを持っており長く心を閉ざしている人も少なくない。
爆笑写真だけを50枚ほど並べてながめてみると幸せな気持ちになれるかというとそうではないようだ。
笑顔笑顔と言うけれど「ニヤケタ写真は見たくない」とあっさり切り捨てられることも少なくない。
他人の幸せそうな笑顔は、社交辞令的な常識から悪く言われることはないでしょうが、本音はどうかというと「何か鼻につくというか、イラッとする」っという人も少なくない。
人間は「人の不幸は蜜の味」という言葉が有るくらい他人と自分を比べ自分の優位性を見出し満足感を得ようとする習性をもっているようだ。
誰しもが他人の笑顔を快く受け入れられ自らが笑顔になれるとは限らなず、笑顔は他人を傷つけることもある。

日本には「礼節」という言葉があり、剣道の試合で一本取ったあとにガッツポーズをすると、その一本が取り消しにされてしまう。また、礼節は観客へも求められ声援や罵声などはそれに反すること。
以前にフォトスタジオへ勤務しているときに、初対面の風格のあるダンディーなお客様から「何に笑ってんだ?」と言われたことがあります。
その時、フォトスタジオで一番年上だった私が店主だと思われ「ヘラヘラ接客していて頼りなく見えるぞ」という意図があり、一喝を下さったのだろうと後になって気づきました。
普段は、子供やご婦人から「おもしろいおじちゃん」というイメージで楽しく接して頂いておりますが、笑顔が万人に歓迎されないこともあることを強く感じたこのような出来事がありました。

では自分の笑顔の写真を見た場合はどうだろう。
現在の気持ちに向上心や幸福感のある場合は笑顔になれ、懐かしさが切なく胸を締め付け涙があふれてくるかもしれません。また、現在が辛く苦しい場合は、楽しかったあの時の思い出がより一層切なく胸を締め付け心への刺激が強く呼吸が乱れ涙があふれてくるかもしれません。
私の場合は、それまでの暮らしの中で溜まっていたストレスがその涙の後、スッ消えたように心が軽くなり笑顔になれます。
このように時々泣くことは、性別や年齢に関係なく心の健康的にも良いことではないかと思っています。
この時の笑顔は「人は過去の思い出の中には生きられず、生かされているこれからの人生の中にしか生きられない。過去は振り返らず、未来に希望を持ってチャレンジし生きて行こう。」と思いが溢れ、何かのエネルギーをチャージしたかのように感じることができます。

笑顔の写真家である前に

写真の題材によく子供の写真を使うことがあります。
災害で家族を失い、それでも精一杯に強く生きている子供の笑顔とくれば、皆の心に響く写真となるのでしょうが、「子供や被災の写真を作品として利用するな」「結局、自分のビジネスの為に利用しているだけじゃん」などという批判の対象にもなる。しかし歴史に残る写真であることは間違いないでしょう。
かといって災害が起きる度に「よっしゃまたチャンス到来」とばかりに、何かに託けて被災地に押し掛けるようなさもしいことはしたくない。

自らの職業で沢山の義捐金が集められるタレントや音楽アーティスト、重機を扱える方々などは、自らの職業を活かしたボランティア活動ができますでしょう。
しかし、スマホやコンデジで誰でもそこそこ綺麗な写真が写せる今の時代に歓迎されない職種にありますでしょうから、何かとやり過ごしてしまう。
そもそも自分の職業を被災支援等に結び付けようとする必要は無い。
そんなときは、カメラ機材は一切持たず一人の人間としてボランティア等に身を投じればよいのだろう。
分かち合う何かがあり互いに笑顔になれればそれだけで幸せなのだ。

先日の熊本地震の際に、TVニュースでたしか「私達はありがとうの言葉が欲しくて活動しているわけではありません」とボランティアの学生さん達が言っていた。
人の為に生きたいという自分の欲望の為に活動していると言いたいのか?
言葉ではなく心のふれあいを体験する試みをしていると言いたいのか?
卒論テーマのボランティアについて実践していると言いたいのか?
何かの為にや何かを語るために行動しているのではないのでしょう。
ボランティア学生へのインタビューは、深く突っ込まず終えていました。

「年齢に関係なく悟りの境地に居られる方々が存在し行動している」と信じ、そのありがたい方々へ感謝しました。

笑顔の写真を創作する?

これまで自然な笑顔というテーマをメインにしてあれこれ書いてみましたが、写真を作品として仕上げていくには、創作する感性と技術が必要。写真業は、フィルムの時代からデジタルに移り変わり、画像修正加工等が容易になった。よってカメラマンの行う作業は実質増えている。
レタッチを専門に行う会社もあるように撮影後の後処理に撮影の何倍もの時間をかけて仕上げて行くことが多い。しかし、どれだけ綺麗に仕上げられる技術をもったとしても、はたして自分が感動できる写真となるのだろうか?
グラフィックアーティストからすれば、写真は下絵や素材ににかならず、究極は全て手書きで書いてしまうことに行きつくのかもしれない。
写真をグラフィックデザインとして創作するというジャンルがあったとしても、人との関わりから奇跡的に捉えられたリアルな瞬間のカットから感じられるそのシーンの物語は、神憑った神秘的なもので別次元の究極であるのだろう。

撮影させてもらった人と撮影した本人は、双方の関係性を知っており、それぞれのシーンの情景が思い出されますが、第三者にはそれが無いので情景がイメージできるようにテキスト等で補う必要がでてきてしまう。
それらを感じ取れるキーワードとなるものがバランスよく写し込めていると伝わりやすい良い写真となりえてくるのは、基本的なお話。

以上、私事のつぶやきゆえ、ご容赦くださいませ。

5月5日子供の日:入園料等がお得な関東周辺の施設

5月5日子供の日:入園料等がお得な関東周辺の施設

2016年5月5日子供の日にお得になる関東周辺の施設を少々調べて記載してみました。
全国的に子ども同伴の大人も無料になるような施設が沢山あるお祝い日となればよいのですが現状ではまだまだ。もっとよく調べればもっとお得感のある施設やイベントが見つかるかもしれませんね。

上野動物園

5月5日:中学生の入園料(200円)が無料。
※小学校6年生以下と、東京都内在住・在学の中学生は入園料が元から無料。

多摩動物公園

5月5日:大人も子供も無料。

葛西臨海水族園

5月5日:中学生の入園料(350円)が無料。
※小学校6年生以下と、東京都内在住・在学の中学生は元々無料。

明治神宮外苑

5月5日:にこにこパーク小学生以下入園無料。アイススケート場は、中学生以下滑走料無料。

東京都立庭園

5月5日:中学生以下が無料。

井の頭自然文化園(井の頭動物園)

5月5日:中学生以下が無料。

国営昭和記念公園

5月5日:小中学生の入園料(80円)が無料。

新宿御苑

5月5日:小中学生の入園料(50円)が無料。

東武鉄道の東武博物館

5月5日のこどもの日からの児童福祉週間は、子供の入館無料。

切手の博物館

こどもの日からの1週間の児童福祉週間のため小中学生の入館が無料。
こどもの日は、切手たんけん隊イベントを実施されます。

日本科学未来館

5月5日:18歳以下の入館料が無料。

世田谷区プラネタリウム

世田谷区のプラネタリウムは、GW期間中の昭和の日、憲法記念日、みどりの日、こどもの日に子どもの観覧料が無料。

横浜ランドマークタワー

69階展望フロアのスカイガーデンが、こどもの日は小学生以下の入場料が無料。

こどもの国

5月5日:入園無料。

東丹沢グリーンパーク

5月5日:小学生以下のこども入園料無料。

市川市動植物園

5月5日:小・中学生の入園が無料。

国営武蔵丘陵森林公園

5月5日:中学生以下限定で入園料無料。4月29日と5月4日は、大人も入場無料。

とある小学校の移動教室での話vol.3

とある小学校の移動教室での話vol.1
とある小学校の移動教室での話vol.2

※上記リンク「とある小学校の移動教室での話vol.1、vol.2」の続きの話です。

移動教室初日、宿舎に到着しクラス集合写真撮り終えて諸々の事柄を済ますと飯ごう炊さんを行いカレーライス作りを生徒達は行った。
釜戸毎に班に分かれて作業している様子と班毎集合写真を写すのですが、好き勝手に他の班の釜戸に行っている子が多く班毎集合写真を撮れるように生徒をそろえるのに手間取ってしまう。ここでは「俺たちの写真を写すな」と言っていた生徒さんの班構成が違っており、また、炎に刺激された満足感からか「俺たちの写真を写すな」コールが起きること無かったのは幸いでした。

そうこうしているうちにカレーもご飯も出来上がっていましたが、釜戸に大量の薪をくべて炎が立ち上って危険な釜戸がありましたが、施設指導員の方が急いで消火され、ご立腹の様子でした。

食事も終わり片付けを皆でしていますが、テーブルの下にゴミ・軍手・ハンカチ等が散乱しているにもかかわらず誰も拾おうとする気配がありませんでした。
それらを指摘して行動させるより、自ら行動して異常を理解してもらおうと思いました。
そこで私自身がそれらを拾って回り「これ誰の物?」「あっちにもゴミ落ちてるよ。拾ってね。」などと言って、生徒さん達が行動するように誘導しました。
本来、カメラマンが口出しするようなことでは無いこと、あまり出しゃばりすぎると先生方のプライドというか癇に障ってしまうのではと迷う心もありました。

全ては「皆さんが楽しく有意義であったと思える思い出の為、その笑顔の為へ」の行動。
しかし、人それぞれ「受け止めて下さる方」もいれば「虫が好かなく思われる」こともある。
今日も「生かして下さりありがとうございます」と心の中で手を合わせる。