とある小学校の移動教室での話vol.1

移動教室初日前半午前中、まだ子どもたちとそう馴染めていないころ。
製作指導員の方の実演説明から木彫りの皿を彫り出した生徒達。
楽しそうに皿を彫っている子もいれば、彫刻刀が上手く扱えず憂うつそうな子もいる。
指導員が手取り教えようとすると「触るな。自分でやるから触るな。」と叫ぶ子もいた。
黙々と作業している様子を撮影して回ると、先ほどの鬱憤の溜まったのであろう子がカメラを拳で攻撃してきました。
拳はレンズフードの先端に当たり、手が痛かったのか、更にむきになってカメラを狙う。
色々な子供たちと関わってきましたが、カメラを攻撃してくる子は初めてでした。
「まあまあ」とその子の方に手をやると更にエスカレートしてしまいましたので、しばらく近づかないようにするしかありませんでした。
次の目的地、少々雨がぱらつく中レジャーシートを引いて傘広げて昼食でした。
ある班の一人が「写真撮って売りつけてんじゃねえよ」「写真撮るなよ」と言うとその班の子達は口をそろえて「写真撮るなよ」と言い出す。
「写真は買わなくてもいいんだよ」と言うと「買わないんだから撮るなよ」っと言われ、なるほど理屈は通っていますので、その意思を尊重し、先生の了解のもとその班の撮影を止めました。
先生方の話の中で、特定の子の言うようにしていないとその子が暴れ出しめちゃくちゃになることを知っているそうで、逆らわないようにしている「皆、悟ってて偉いなあ」などと先生は言っていた。これは、一般的に負の勢力に従い屈していることになるでしょう。
私の学生の頃は、体罰があたり前のようにあり、おかしな行動をすれば直ぐにポカリと小突かれつまみ出され、度重なれば先生から容赦なく養護学校への転校を進められたものでした。
最近は、おかしな行動をしても皆で受け入れ和を保つように我慢し合うことが望まれるのか?先生の事勿れ主義なのか?生徒も学校側も大変なことであります。
色々と問題はありますでしょうが、おそらくこれは、アスペルガ症候群、発達障害等、個人の色々な違いを理解し合い共存共栄していくという深い意味があるのかなど、色々考えた出来事でした。

世の中、平等であってほしいものですが、実際は平等ということ無く、何かを立てれば何かが犠牲になる。そのバランスで成り立っている共存共栄の世界。

私の笑顔は、皆様の心からの笑顔で成り立っている。
とてもありがたいことであります。

とある小学校の移動教室での話vol.2
とある小学校の移動教室での話vol.3

作者 笑顔の写真家:酒井徹也

笑顔の写真家:酒井徹也

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