過去と現在と未来とありがとうの写真

もう一人の自分が 今 ここに居て 時には厳しく 時には優しく 自分自身を見守って
身体の状態や心のバランスを保とうとしている
だけどそんなことを忘れて 時にはがむしゃらに 時にはのほほんと 無意識に生きてる

過去と現在と未来と 沢山の情報が複雑に絡み合って 機能停止寸前 脳みそ爆発寸前
気づかないまま自分自身を 縛り付けていたんだ

戻らない過去を悔やみ 見えない未来にあれこれ憶病になって
今、何をするのか分からなく 体の感覚さえ分からないほど 固く鈍く身動きが取れない

今できる事 今やるべきことだけに集中する一時が必要なんだ
ゆっくりと 深く呼吸しながら
つま先を動かし 少しずつ上の部位を動かし 頭の天辺まで繰り返し
自分自身の身体の状態を知り ゆっくり緩めてあげよう

感じたり行動したした瞬間に 現在から過去へと変わってく
限りある人生 現在という不完全な人体を借りて 未来を駆け抜けて行くんだ

大切に見守ってくれてる あなたが居ると 信じさえすれば生きて行ける
そう信じて今を生きれる あなたにめぐり合えた
そう信じて今を生きれる 「ありがとう」を伝えて行くんだ

ありがとうの輪

何かここに書こうと思うと構えてしまう
良いところを人に見せたいと心のどこかにある証拠だろう
大抵の人は皆そういうところは同じじゃないかな
昨年もワクワクする出会いがあった
今年も既にワクワクする出会いが始まる兆しが見えた
声をかけてもらえるのは何歳になっても嬉しい。

ある人が言っていた「好きなことをやっていてお金に不自由していない人が一番幸せ」だとすると「好きなことをやっていて生活が大変な人」は、2番目に幸せな人。「大金を得て遣りたくない仕事を無理してやっている人」より幸せなんだ。
自分を信じてやりたいことをチャレンジしている人にとって救われる言葉だ。
しかし、遣りたくない仕事などを無理してやってくれている人がいるからこそ、好きなことをやって自分は暮らせるのかもしれないという思いがある。
そもそも人それぞれで、人の幸せを文字で分類して順列を付けられるものではない。
自分のやらない、出来ない、至らないことを誰かがやってくれて自分が生きていられる。
自分は生かされているのだと知った。

人の為に役に立ちたいという欲求がある
しかし、これは自分を満足させる為の欲でもある
何方かのお役に立たさせた頂けたことは、また一つ幸せを頂いたこと
ありがとうの輪が世界中に広がっているのだ。

音楽アーティスト写真

◆音楽アーティスト写真
アーティスト写真は、バンドやアーティストのイメージカラーが定まるとても重要な写真です。
1.バンドの方向性はどうでしょうか?
2.メンバーそれぞれの方向性はどうでしょうか?
ここで言っております方向性とは、人間性、音楽性の軸となるものです。
メンバーそれぞれが音楽を始めた切っ掛けから始まり、目指している音楽であったり、どういう人生を歩もうとしているかなどを具体化した文書を作成してみてください。
それは、生きたプロフィール文書となるでしょう。
目指すことを具体的に文書化して、それを口にすることにより、目標に一歩近づく。
自分を信じることから成功に導かれる。

バンドやアーティストの内面を表現する音楽アーティスト写真の場合は、口角の上がった形状の笑顔の写真が適さないことが多々あります。
アーティストがパフォーマンスをやりきれている表情は、必ずしも口角の上がった形式上の笑顔ではなく、成りきれている場面の姿こそが真の笑顔い通ずる笑顔の写真と解釈しております。
皆様のご利用目的な合わせたイメージカットを撮影します。

◆アーティストとファンの絆
大きな目標に対して最初はバカにする人も多いでしょう。しかし、継続して頑張っている姿を毎度目にすることにより、チャレンジしている本気さが伝わり熱狂的ファンに変身してくれます。
アーティストに限らずチャレンジしている本気さが応援して下さる方々の愛情のバロメータに繋がっていると信じています。
自分を信じてひたすら人生を駆け抜けることのむずかしさに打ちのめされ、あきらめてしまう人がほとんどです。
ですから、本気でチャレンジしている人が成功してゆく姿に人々は憧れ、惜しみなく愛情を注いで下さる方々がいらしゃるのでしょう。

◆相対する大切な教訓
毎度チャレンジしているのです。
思い通りに進まないことが多々あるのは当然です。
チャレンジしない者に成功は無し。

平凡な人生をつまらない人生だと嘆くことなかれ
失って初めて気づく平凡な人生を過ごせる幸せ。

今、生かされてあれこれ思い経験できることに感謝。

私的妄想世界

「大きな目標を達成するために小さなステップの目標をたてて、階段を登るように目標達成せよ」と言うが、描いたように成功するほど人生あまくない。
その時代、その時々にマッチした様に自分を変えられる柔軟性が必要になってくる。

近年益々、多くの人々は自分たちが食べることに必死になっており、その様な労働をしなければ暮らしていけない。
一方、様々な技術革新により人員が必要な労働は減っており、高い技術や能力を使いこなせる一部の人だけが高い給料をもらい、貧富の差が益々脹らんでいる。
年金、保険といった社会保障にも大きな無理が生じているのに、市場の状況で対価が決まっていく賃金に所得の分配を任せていては、社会そのものが回らなくなるのは当然でしょう。

通貨、電子マネー、株式といった人類の約束事が機能しなくなってきている危うさを感じている人は少なくないだろう。
今まで絶対としている固定観念を頭から消し想像してみると、通貨、電子マネー、株式といったものは人類の約束事であって、実際は存在しないものである。
これらの世界中雁字搦めに支配されているようなものを無くしてしまえば、本来持つ人間らしくなるのではないだろうか。
これは、これらの利権者が今までの権力を失い、人類平等にグッと近づくことでもある。
世の中に素晴らしい発想があったとしても、利権の強い人々に都合のよろしくないことは闇に葬られる現在の世であろう。

今後、更に人工知能ロボット化が進み、人類がその気にさえなれば世界中の皆が働かなくとも食べていける世の中が実現できる。
しかし、人工知能は戦争兵器への組み込みが盛んに進められ、実践に使われ人の命を奪っている。
人は、自分以外の人と比べて自分の優劣を確認する習性があり、他人より優位に立っていないと不安な人が大多数のようだ。
どれだけ経済成長すれば、どれだけ他国を打ち負かし強い権力の国になれば満足するのだろう。

「夢を見るから、人生は輝く」というが、絶望の連続で夢を見れないで人生を終えた人は輝けなかったのか?
そうではない、たった一つの自分の人生から逃げずに駆け抜けて行った人生は輝いているでしょう。
「叶う夢など夢ではない」のだと言う人もいる。
私と出会い関わって頂いた皆様、また、これから出会う方々に感謝し残された人生を世界平和の笑顔の花咲く夢へ少しでも近づけて行きたい。

前例が無いのは当然じゃないか

新しいことを企画しても「前例が無いので」とよく言われる。
学校から始まり、役所、企業、いたるところで、尤もらしく平然と使うその言葉。
体裁よく断られているのですが、新しいことへのリスクから逃げる言葉でもある。
勿論、納得させるまで至っていない企画である場合もある。
しかし、優れた企画であっても、可能性より少ないリスクから身を避けることが最優先な保守的組織はチャレンジすることはます無い。

変革の行動が、前例に無い行動なのは当然じゃないか。
既に、世界中いたる所で常識とされてきたことが悉く壊れ、うまく行かない。
事勿れ主義的保守も成り立たないのは当然のことだ。

そんなことはこれまでの歴史にはないから、起こるはずがないという理屈は成り立たない。
私たちは、まず抱え込んでしまった思い込みから自由になるんだ。
そして、自分が正しいと思うことやってみようじゃないか。

心の眼で写真を写す世界

大抵の人は、自分以外の人を意識し印象良く思われたれいと思うでしょう。
相手がむくれ顔しているより笑顔でいてくれる方が気持ち良い。
「相手の笑顔が見たいから相手に愛想をふりまくのか、自分が笑顔でいたいから相手に愛想をふりまくのか?」それは、どちらも切り離せない。
相手と共有できる何かを感じたとき、互いに喜びを共有できて自然と笑顔になれる。

しかし、共有できる何かが無くとも、大抵の大人は、世間体や一般常識の様な感覚に影響され社交辞令的な笑顔を作ってくれる。
子どももカメラ慣れしてくると作り笑いが上手にできるようになってくる。
勿論、こういった作り笑いを嫌い写真撮影を嫌がる人もいる。

撮られたくないと思っている人にとって、場合によってはカメラを向けられることにこの上なく圧力を感じることがある。その場合、「言葉の暴力」という表現があるのと同様に「カメラの暴力」と言ってもよいのでしょう。
撮られたくない事情も個々に抱えていますが「撮らないで!」というポーズをとりたい人もいる。
撮影依頼されて撮影しているにも関わらず、写される人が撮られたくないと思っている人である場合もある。
作り笑いをして写真を撮られていると独特な緊張感があり、大人でも子供でも疲れる。

写真は二の次、三の次、どんな人も写真を撮られる為に存在するのではなく、本来の目的の為に写真に写ったり、写真はどうでもよい場合も少なくない。

古い話ですが・・・
相手になるべく疲れを感じさせず楽しいひと時を過ごせたらと思いつつ、八方美人的なシャッターを切ってみると互いの遠慮が写真に写り込んでしまっている。
「なまじ目が見えている分、人の心を感じ取れていないのだろう。」と、ファインダー越しに、そっと目を閉じて目の前の人の心の様子を感じてみた。

出会った時に大事そうにスヌーピーを胸に抱えていた姿がまぶたに浮かんだ。
「あのわんちゃん好きなんだね」っと言うと「わいいちゃんじゃないよ、スヌーピーだよ」と○ちゃん可愛くプンプン顔。
「スヌーピーおやれして可愛いね」と言うと「ママがスヌーピーのお洋服作ってくれたの」と○ちゃんご機嫌な笑顔。
「ママ、お洋服作るのとっても上手だね」と言うと○ちゃん笑顔に○ちゃんママも照れ笑。
楽しい会話は止まらない。
こんな感じで、ファインダーをほとんど覗かずに自然に会話するようにシャッターを切ることができた。

何かを失うことで感覚が鋭くなるのか、視力の無い方が素敵な写真を写されています。
その様な方々は「心の眼で写真を写す」それをできる存在。
自分も心の眼で写真を写す世界に近づけるよう精進しようと心に決めたあの時を思い出す。

カメラと共に歩いた日々:昔はテクニック、今はそれ盗撮でしょ

昭和の時代は、一般的に個人情報や肖像権などという権利を主張されてもめることない和やかな時の流れでした。その後もかなりの間は個人情報や肖像権などに気を使わなくてもすむ時が流れていました。2003年5月23日に個人情報保護法が成立し、一般企業に直接関わり罰則を含む第4〜6章以外の規定は即日施行された。2年後の2005年(平成17年)4月1日に全面施行した。
そんな中、2004年11/12隔月刊フォトテクニック(玄光社)という月刊カメラ雑誌(42ページ)掲載の記事に「速写=気づかれないうちに撮る」の中に「スナップの秘訣は、被写体が夢中で何かをしていて、撮られていることに気づかないうちに素早く撮影し、何事も無かったように自分の散歩のペースに戻る」という記事と子どもの写真が記載されています。
そのような事は、今では盗撮行為になってしまうのでしょう。
写真を撮る側は非常にやり難くなりましたが、自分が見知らぬ人に撮られてその画像を悪用されるようなリスクは避けたく撮らせたくないと自分自身も思うところ。
自分自身も写真を撮る際には、そのような疑いが掛からないように心がけたいです。

相手に撮影依頼された撮影は、わざわざ撮影許可をもらう必要無いですが、それ以外は撮影許可を取ってから撮影することが基本。相手とのコミニュケーションがしっかり取れれば、大抵「撮っていいですよ」と笑顔をもらえます。
子どもの頃から「カメラは、私のコミニュケーションツールの1つ」
小心者だった私の心を開かせ、人とつながりを持たせてくれる大切な道具です。
これからも沢山の笑顔さんたちに出会えることを楽しみにしてます。

カメラと共に歩いた日々:私のピントは何処いった

私的な話をおこがましくも少々記録しておきます。
マニュアルフォーカスのフイルムカメラ全盛の頃から長く写真に関わってきました。
中学・高校生の頃、ニコンF、F2、キャノンF-1のマニュアル機が全盛で、人通りの多い繁華街を歩きながら前から歩いて来る人の顔にピントを素早く合わせて撮影する練習をしていました。
通常、一眼レフカメラはピントを合わせるのに左手は親指を上側にピントリングを持つのが撮影の基本スタイル。ピントを合わせるのに左手は親指を上側にして左手を主にカメラを持ち、右手は瞬時のシャッターチャンスに備えてさほど力が入らないようにグリップをにぎりる。シャッターを切る人差し指は、常にリラックスさせシャッターチャンスに備える。
しかし、親指を下にしてピントリングを持った方がピントリングの可動範囲全域にピント調整しやすいです。これは、ズームリングも同様です。この場合、左手(指)はピントを合わせることを優先して右手を主にカメラをにぎるように左右の手の力配分がかわります。

AF(オートフォーカス)機の出始めの頃は、AFなんてあてにならないとカメラをずっとMF(マニュアルフォーカス)で撮影していました。しかし、フィルムカメラからデジイチに移行した際には、AF精度にこだわり当時発売されていたデジイチを全てテストして、購入カメラを選びました。その後、AFに慣れ親しんでしまい、どうしてもMFで撮影しないといけない場合以外はMF撮影を行わなくなっていました。

ピント調整はMF支流の時代からAF支流の時代に移り、フォーカススクリーンもより明るくスッキリなったようで、その代償としてデジイチはMF撮影の際にピントの山がつかみ難くなったように感じた。
年齢が増して何時しか視力が低下が進みMF撮影が困難になっており、撮影に際にはLCDビューファインダーを常に携帯しています。LCDビューファインダーは、露出の塩梅を確認するのにも便利であります。
カメラ雑誌等に写真掲載されています著名フォトグラファも「信頼できるAFのおかげでカメラマン人生の寿命が延びた。AFが無ければとっくに引退しなければならなかった。」のような事を雑誌に書かれていたことを記憶しています。
「写真作品の重要な要素の1つである、ピント位置」動体撮影時の機能・性能の進化が著しいですが、まず静止した被写体の合わせたい所に確実にピントが合わせられる信頼できる基本性能の製品が欲しいです。

人それぞれの道のりの蜃気楼

「ニッポン一億総活躍:元気に笑顔で頑張ろう。」キャンペーンが進められているますような近頃、「頑張ることはいいのだけど何か違うんだよな。これまで自分は頑張ってきたよ、これ以上どう頑張ればいいんだ。」と頭を抱える方が沢山居られることではないでしょうか。
世の中の大半は、憧れる暮らしを夢に、現実のささやかな遣り甲斐を糧に生きている。また、そのささやかな遣り甲斐さえ見つけられずにもがき苦しんでいる人もいる。
一方、やりたいことをやって成功しやすい時代、精力的に活動されている人もいる。
どうするかは自分しだいとくたびれ果てた人がいきなり強い心に変身できるものだろうか?

撮影させて頂いた某音楽アーティストの方は「私はいつも頑張っている、頑張ってなんで言わないで。」とよく言っていました。
あるとき「笑顔は疲るよ。私は笑顔の裏で泣いているよ。」と言いながら一生懸命に営業スマイルをしようと頑張るシーンでは、数枚お約束のシャッターを切り、タイミングを外してこの方が本来もつ素顔の悲しそうな表情の美しさを撮影しました。
この方の場合、ミニライブで自撮り用ビデオカメラをセットしている時などに夢中で楽しそうにしていましたのでそのシーンで魅力的な笑顔を撮ることができました。
このような機会を頂き、ありがたい限りです。

人生には、志を一新できる転記がある
転記に気づいても大抵の人は行動しない
行動した人は、はじめてチャンスを手にする
うまくいかないことも多々ありますが、あきらめなければ失敗ではない
行動するのに年齢は関係ない、その時々でチャンスがある
しかし、それらは人それぞれの道のりにある蜃気楼
自らを信じて進むすかあるまい