笑顔を見て笑顔になれる人はいいのですが、大抵の人は心に何らかのしこりを持っており長く心を閉ざしている人も少なくない。
爆笑写真だけを50枚ほど並べてながめてみると幸せな気持ちになれるかというとそうではないようだ。
笑顔笑顔と言うけれど「ニヤケタ写真は見たくない」とあっさり切り捨てられることも少なくない。
他人の幸せそうな笑顔は、社交辞令的な常識から悪く言われることはないでしょうが、本音はどうかというと「何か鼻につくというか、イラッとする」っという人も少なくない。
人間は「人の不幸は蜜の味」という言葉が有るくらい他人と自分を比べ自分の優位性を見出し満足感を得ようとする習性をもっているようだ。
誰しもが他人の笑顔を快く受け入れられ自らが笑顔になれるとは限らなず、笑顔は他人を傷つけることもある。
日本には「礼節」という言葉があり、剣道の試合で一本取ったあとにガッツポーズをすると、その一本が取り消しにされてしまう。また、礼節は観客へも求められ声援や罵声などはそれに反すること。
以前にフォトスタジオへ勤務しているときに、初対面の風格のあるダンディーなお客様から「何に笑ってんだ?」と言われたことがあります。
その時、フォトスタジオで一番年上だった私が店主だと思われ「ヘラヘラ接客していて頼りなく見えるぞ」という意図があり、一喝を下さったのだろうと後になって気づきました。
普段は、子供やご婦人から「おもしろいおじちゃん」というイメージで楽しく接して頂いておりますが、笑顔が万人に歓迎されないこともあることを強く感じたこのような出来事がありました。
では自分の笑顔の写真を見た場合はどうだろう。
現在の気持ちに向上心や幸福感のある場合は笑顔になれ、懐かしさが切なく胸を締め付け涙があふれてくるかもしれません。また、現在が辛く苦しい場合は、楽しかったあの時の思い出がより一層切なく胸を締め付け心への刺激が強く呼吸が乱れ涙があふれてくるかもしれません。
私の場合は、それまでの暮らしの中で溜まっていたストレスがその涙の後、スッ消えたように心が軽くなり笑顔になれます。
このように時々泣くことは、性別や年齢に関係なく心の健康的にも良いことではないかと思っています。
この時の笑顔は「人は過去の思い出の中には生きられず、生かされているこれからの人生の中にしか生きられない。過去は振り返らず、未来に希望を持ってチャレンジし生きて行こう。」と思いが溢れ、何かのエネルギーをチャージしたかのように感じることができます。
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