商品と作品:自由に自分の作品を撮っていいよと言われたら、何を撮りますか?

自営のフォトスタジオで記念写真を写したり、卒業アルバム等を制作する仕事をしている、たしか年金暮らしまで後10年を切ったベテランカメラマンさんと、この間、食事会をしました。
この方は「長年、お客さんの要望や用途に合わせておおよそ決まった写し方で、時間に追われて撮影している仕事を続けてきたら、お客さんの要望に合わせて撮影する技術はあっても、自分が何を撮りたいのか分からなくなった。」
「自由に自分の作品を撮ってください。」と言われると「何を撮ろうか困ってしまう。」と話していた。
続けて「写真を撮るのが楽しくて始めたはずなのに、プロになり気が付いたらほとんど売り物の写真ばかりしか撮らなくマンネリ化してしまった。もう直ぐ食っていく為に撮る必要が無くなる年齢になる。自分がリタイアを決めるまでは、ずっと続けられる仕事だが、何時リタイアしようか迷いが出てきた。でも自分の作品だと言えるものを残したい。」などと話してくれた。
そして「自由に自分の作品を撮っていいよと言われたら、何を撮りますか?」と聞かれました。

「依頼されて撮影し料金を支払ってもらう写真は、商品であって作品ではない」というような話がよくあります。
自分でテーマを定め、テーマに沿った写真を撮って行き、その写真集を制作したり個展を行ったりするその写真が誰でも分かるであろう作品でしょうが、そんな意味合いや物的区分けは、写真を見てくれる人にとってはどうでもよい話でしょう。
写っている情景や表情などに潜む物語を感じることができる写真を作品と呼びたいです。

私的には、子どもの頃から相手に喜んでもらいたくて写真撮影に夢中になった所があり、今もその気持ちは変わっておらず。
自分の作品がどうのという主張はあまりありませんし、笑顔の写真家のキャッチフレーズで活動していますが、笑顔を写すこと自体が目的ではありません・・・
個展の為の作品撮りは、売り絵の様な写真になりかねないように思います。
自然体で感動的なシーンに出くわした時、逃さず撮影できればそれが喜ばれ作品になるのでしょう。それが自分スタイルのような気がします。

丁度、先日の撮影でそのシーンが訪れました。
詳しく書くわけにはまいりませんが、撮影終了後、自宅のパソコンで画像チェックしていると感動のシーンのそれぞれの一瞬が捉えられておりました。
ご夫妻が写真を見て喜ばれている姿も目に浮かんいできて、涙があふれ出しました。
自分の撮影した写真を見て涙があふれ出したのは、生まれて初めての出来事でした。

写真を撮ることでつながることができた皆様の笑顔が私の作品なのかもしれないです。

作者 笑顔の写真家:酒井徹也

笑顔の写真家:酒井徹也

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